2022年2月13日、カリフォルニアのスタジアムの芝の上に、コンプトンという町が建ちました。
建てるのにかかった時間は、8分。畳むのに6分。そのあいだの14分40秒に、あの町から出てきた人間が次々と登場します。
ただ、この記事で見てもらいたいのは、出てきた人のほうやありません。建っとったセットのほうです。並んどったセットは、コンプトンに実際にある建物をあらわしています。
1億人が見た14分40秒に、実在の建物
まず、この動画をご覧ください。NFLの公式チャンネルのものです。

第56回スーパーボウル、カリフォルニア州イングルウッドのソーファイ・スタジアム。出たのはドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、エミネム、メアリー・J・ブライジ、ケンドリック・ラマー。そこに50セントとアンダーソン・パークが、予告なしで加わります。
ニールセンの集計で、この時間帯を見とった人の平均が1億336万人。試合そのものの平均が1億110万人ですから、試合よりハーフタイムのほうが見られとったことになります。
で、その1億人が見た芝の上には、コンプトンに実際にある建物が、実際の位置関係のまま並んどりました。
建物ひとつずつを「登場人物」に配役したイギリス人
この舞台を作ったのは、エス・デヴリンというイギリスの舞台美術家です。ビヨンセやアデルのツアー、リオ五輪の開会式、ロンドン五輪の閉会式。そういうものを手がけてきた人。
本人がハリウッド・リポーター誌に、こう説明しとります。
「建物のひとつひとつを、物語の登場人物として配役しました」
芝の上に敷いたのは布です。その布に刷ってあったのは、グーグルアースから提供を受けたコンプトンの高解像度の航空写真。足りんところは、地元のヘリコプターの操縦士が撮り足したそうです。
そして建物は、実際の通り──ローズクランズ・アヴェニュー沿いの位置関係に置かれた。
きっかけは、最初のオンライン会議でした。デヴリンがいくつか過去の作品を見せたところ、ドクター・ドレーが食いついたのは『メモリー・パレス』という2017年の作品だった。ロンドンのギャラリーに置かれた、世界地図を模型の街に組み替えたもので、人類の見方が変わった瞬間を7万3千年ぶん、地図の上に置いていく作品です。
デヴリンの言葉です。
「ドレーは『placeness』──場所であること、という考えにすぐ食いつきました。コンプトンがこの作品のもう一人の主人公になる、と彼は感じ取ったんです。コンプトンの地図を、スーパーボウルという世界の舞台に刻めるはずだ、と」
ここからが本題です。その地図の上に、何が建っとったか。
ドクター・ドレーが10代でレコードを回した店、イヴズ・アフター・ダーク
作った街並みのいちばん真ん中に置かれたのが、この店です。
イヴズ・アフター・ダーク。かつてサウス・アヴァロン・ブールバードにあった、ただのクラブです。
ただ、ここは、アンドレ・ヤングという若い男がレコードを回しとった店でした。ワールド・クラス・レッキン・クルーという地元のグループのために、箱でDJをやっとった。
そのアンドレ・ヤングが、いまのドクター・ドレーです。
市の外にあったから、朝5時まで開けられた店
この店には、ひとつ変わったところがありました。朝5時まで営業できたんです。
理由が、身も蓋もない。ロサンゼルス郡の「非法人地域」にあったからです。市の区域に入っとらんので、市の条例が届かん。だから閉めんでよかった。
行政の線引きが数百メートルずれとっただけの話です。その数百メートルのおかげで、若いDJが夜通しレコードを回せる箱が、一軒だけ存在した。
1979年に開いた店です。
イージー・Eの「Boyz-N-the-Hood」を録ったのは、店の奥の部屋
そして、ここが大事なところ。
デヴリンの説明を、そのまま引用します。
「その店の奥の部屋で、ドクター・ドレーは、イージー・EがN.W.Aの『Boyz-N-the-Hood』をラップするのを録音しました」
クラブの、奥の部屋です。スタジオやない。営業が終わったあとの、店の裏です。
この曲がどういう曲やったかは、以前に一本書いとります。アイス・キューブが書いて、東海岸のグループに断られて、誰も歌わんかったので、レコード屋に卸す側やった男が仕方なく自分で歌った曲です。→ 「西海岸すぎる」と突き返された曲──N.W.Aと「Boyz-n-the-Hood」の1987年
売り場は車のトランクとフリーマーケットでした。刷ったのは、金さえ払えば誰のレコードでも刷る工場です。
その曲を録った部屋が、35年後、1億人が見とるスタジアムの芝の真ん中に建て直された。
そしてその日、あの店でレコードを回しとった男が、同じ芝の上に立っとったわけです。
地図にない一軒、トーランスのオーディオ・アチーヴメンツ
もう一軒。ドクター・ドレー本人が、屋根の上に立っとった建物について。
これは、彼のレコーディング・スタジオを模したトレーラーでした。ただし、実在の建物が元になっとります。
オーディオ・アチーヴメンツ。住所はトーランスのカブリロ・アヴェニュー1327番地。
ここでデヴリンは、正直に断りを入れとります。
「建物は、地図のなかのローズクランズ・アヴェニュー沿いに置いてあります。ただしオーディオ・アチーヴメンツの複製を持ち込んだところだけは、こちらの裁量です」
トーランスは、コンプトンやありません。地図の上では、そこに建っとらん建物です。それでも一軒だけ、持ってきた。
なぜかというと、N.W.Aが『Straight Outta Compton』を録ったのが、そのスタジオやったからです。制作費12,000ドル、6週間。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』で、そのスタジオの外で警官に地面に押さえつけられる場面が出てきますが、あの建物です。
ショーの冒頭、ドレーはその屋根の上におります。手元にあるのは48トラックのレコーディング・デスク。そして客席の照明の列が、そのデスクのつまみとスライダーの列と、同じ並びになるように組んであった。
デヴリンは、こう言うとります。
「レコーディング・スタジオは、ドレーとほかの全員をつなぐ結び目であり、待ち合わせ場所です。このショーで鳴る音楽のもとになった経験の多くが、ドレーの机と手を通っとります」
スヌープ・ドッグが立った屋根は、1992年のPVの家
スヌープ・ドッグが「The Next Episode」を歌い出すのは、一軒家の屋根の上です。
この家にも元があります。1992年の「Nuthin’ but a G Thang」のプロモーション・ビデオに出てくる家。ドクター・ドレーとスヌープが、いちばん最初に組んだときの一本です。
スヌープはそのあと、屋根から階段を下りて家の中を通ります。壁には家族の写真が並べてある。テレビに映るのは数秒ですが、そこまで作ってあった。
ついでに言うと、その家の並びにタムズ・バーガーという店も建っとりました。ウェスト・ローズクランズ・アヴェニュー1904番地の、実在のハンバーガー屋です。ケンドリック・ラマーが「Element」の詞に店の名前を出しとります。
スヌープがその店の窓の前を通るとき、窓の外を馬に乗った男が横切ります。コンプトン・カウボーイズという人たちで、1980年代からコンプトンの農地で馬に乗っとる。標語が「街が俺らを育て、馬が俺らを救った」です。
裁判所を突き破って出てきたエミネム
エミネムが「Forgot About Dre」を始めるのは、建物の中です。
その建物がコンプトン裁判所。正確には、その中の留置場です。設計はハロルド・ウィリアムズという建築家で、コンプトンでいちばん高い建物、市で唯一の高層建築。何キロも先から見えます。
エミネムは、その中から歌い出します。ドレーは、自分のスタジオの屋根の上で、それを聴いとる。そしてエミネムが建物を突き破って出てきて、破片を飛ばしながらスタジオまで歩いてきて、合流して「Lose Yourself」になる。
この配置には、元があります。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』で、この裁判所は、イージー・Eが留置場から若いドレーを保釈した場所として出てきます。
ついでに、同じハロルド・ウィリアムズがもう一つ設計しとります。南側に建っとったマーティン・ルーサー・キング記念碑です。1977年完成。ウィリアムズはオハイオの建築課程で唯一の黒人学生で、1958年に、カリフォルニアで9人目の黒人建築家として免許を取った人です。
記念碑の面は山の形をしとります。キング牧師の「私は山の頂上に行ってきた」に合わせたもので、こう刻んであります。「どこかの不正義は、あらゆる場所の正義への脅威である」。
8分で建てて、6分で畳む段取り
ここまで作り込んだものを、試合の合間に出して、片づけなあかん。
この段取りを組んだのが、ブルース・ロジャースという、スーパーボウルを何度も手がけてきた舞台美術家です。数字が決まっとりました。8分で出す。6分で消す。
デヴリンの言葉です。
「軍隊のような正確さと、スタッフの振付が要る、途方もない難題でした。この設営そのものが、一つのショーになっとります。客席を立つ人が、ほとんどおりませんでした」
床は、一瞬で広げられる布です。建物は、白い箱型のトレーラー。その上で人が歌って踊る。そこにローライダーが走り込んできて、競技場が舞台に変わる。
「あれは失敗やった」と、あとで言った50セント
ひとつ、笑える話も書いときます。
50セントは、予告なしで出てきました。それはええんですが、逆さ吊りで出てきたんです。天井から足でぶら下がって「In da Club」を歌う。
これには元があって、2003年の「In da Club」のプロモーション・ビデオの再現です。分かる人には分かる仕掛けやった。
ただ、分からん人のほうが多かった。放送直後から、逆さのままの画像がネットに大量に出回りました。本人もそれを自分で投稿して、「もう一回訊くけど、俺を逆さにするって、誰の案やったっけ?」と書いとります。
そして翌年、USAトゥデイの取材に、こう答えました。
「あれはスーパーボウルでは失敗やったと思う」
ほかの連中は普通に歩いて出てきて、それでエミー賞をもろとる、と。
ノーギャラで立った6人
ここで、ひとつお金の話を。
スーパーボウルのハーフタイムショーに出た人に、ギャラは出とりません。リーグが持つのは、制作費と、出演者にかかった経費だけです。
それどころか、持ち出しになることがあります。前の年に出たザ・ウィークエンドは、報じられた1,300万ドルの制作費のうち、700万ドルを自分で出しとります。
ではなぜ出るか。この年、ショーのあとに何が起きたかというと、ドクター・ドレーの曲の再生が185%増えました。「Still D.R.E.」が245%増、「The Next Episode」が270%増。メアリー・J・ブライジの「No More Drama」が520%増。エミネムの「Lose Yourself」は、この曲が出てから初めて、スポティファイの上位10曲に入りました。
1994年の曲や2002年の曲が、2022年に初めてそこへ入る。14分40秒の値段は、そういう形で回収されるということです。
ドクター・ドレーが脳動脈瘤で倒れたのは、2021年1月
この舞台に立つ1年ちょっと前、ドクター・ドレーは脳動脈瘤で倒れとります。2021年1月のことです。
本人が2024年になって明かしたところでは、入院中に脳卒中を3回起こしとりました。医者は、助からんかもしれんと考えていた。
本人の言葉です。
「生きとることのありがたみが、よう分かる」
その1年後に、この人は自分が育った町の地図を芝に敷かせて、自分が最初にレコードを録った部屋の複製と、いちばん最初に組んだ相方と一緒に、そこに立ったわけです。
ハーフタイムショーとして史上初のエミー賞
このショーは、その年のエミー賞で「バラエティ・スペシャル(生放送)部門」を取りました。ハーフタイムショーがこの賞を取ったのは、これが初めてです。
ほかに2つ。美術賞と、音楽監督賞。音楽監督はアダム・ブラックストーンという人で、6人ぶんの曲を14分に組み直した本人です。
本人が言うとりました。
「一人ひとりが単独で主役を張れる人らです。その好きなアーティストが、90秒しかもらえん。そこが難しいところでした」
あと、これも数字として面白いんですが、この放送に対して連邦通信委員会に届いた苦情は33件でした。前の年が1,300件です。
作り手の名前を、もういっぺん並べときます。舞台美術がエス・デヴリン、舞台の段取りがブルース・ロジャース、振付と演出がファティマ・ロビンソン、中身の骨組みをケンドリック・ラマーの盟友デイヴ・フリーが一緒に考え、撮影がハミッシュ・ハミルトン、照明がアル・ガードン、衣裳がライラ・ニコール。制作はジェシー・コリンズと、ロック・ネイションのデジレー・ペレス。
この人らが半年かけて建てて、14分40秒だけ立って、6分で消えました。
デヴリンが最後に、こういう話を足しとります。企画の最初に、デイヴ・フリーが自分のコンプトン時代の同級生トレミールという人を紹介して、その人の案内で町を回った、と。
グーグルアースの写真だけでは、あの並びは作れんかったということです。誰かが「この店やった」と教えんことには、クラブの奥の部屋なんぞ地図に出てきません。
──ちなみに、あの町の高校には、いま1,200席の劇場が建っとります。お金を出したのは、ドクター・ドレー。それはまた、次の機会に。
参考文献
この記事の事実は、公開されとる資料で一つずつ確かめました。何をどこで確かめたかを、あわせて書いときます。URLは変わることがあります。
- Super Bowl Set Designer Shares Inspiration for Historic Hip Hop Show — The Hollywood Reporter……エス・デヴリン本人が、建物を一軒ずつ説明した記事。『メモリー・パレス』と「placeness」の件、イヴズ・アフター・ダークが1979年開店・非法人地域ゆえに朝5時まで営業できたこと・その奥の部屋で「Boyz-N-the-Hood」を録音したこと、オーディオ・アチーヴメンツ(トーランス、カブリロ・アヴェニュー1327番地)を裁量で地図に持ち込んだこと、コンプトン裁判所とキング記念碑の設計者ハロルド・ウィリアムズのこと、タムズ・バーガーとコンプトン・カウボーイズ、48トラックのデスクと客席照明の対応、エミネムが裁判所から出てくる演出、制作陣の名前
- Landmark Compton buildings are “characters” on Es Devlin’s Super Bowl stage — Dezeen……「建物を登場人物として配役した」という言葉、グーグルアースの航空写真と地元のヘリコプター操縦士の撮影、ローズクランズ・アヴェニュー沿いの配置、8分で建てて6分で畳む段取りとブルース・ロジャースのこと、ドレーがスタジオを模したトレーラーの屋根に立っていたこと、ローライダー ※機械では403が返る。ブラウザで開いて確認した
- Super Bowl LVI halftime show — Wikipedia……2022年2月13日・ソーファイ・スタジアムであること、出演者と曲順、ニールセンによる視聴者数(ハーフタイムの時間帯の平均1億336万人/試合本編1億110万人)、ハーフタイムショーとして史上初のプライムタイム・エミー賞(バラエティ・スペシャル生放送部門)と、美術賞・音楽監督賞、FCCへの苦情33件、放送後の再生数の伸び(ドレー185%、Still D.R.E. 245%、The Next Episode 270%、No More Drama 520%、Lose Yourselfがスポティファイ上位10曲に初めて入ったこと)
- Full Pepsi Super Bowl LVI Halftime Show — NFL.com……この記事で紹介した動画が、NFLの公式のものであること
- Emmy Winner Adam Blackstone Wants to Take the 2022 Super Bowl Halftime Show on the Road — Variety……アダム・ブラックストーンが音楽監督としてエミー賞を受賞したことと、「一人90秒しかもらえない」という本人の言葉
- 50 Cent reacts to memes from his upside-down Super Bowl performance — NME……逆さ吊りが2003年の「In da Club」のビデオの再現であること、本人の「誰の案やったっけ」という投稿
- 50 Cent Admitted His Upside Down Stunt Was ‘A Mistake’ — Uproxx……USAトゥデイ(2023年5月10日掲載)での「あれは失敗やったと思う」という発言
- Dr. Dre Won’t Be Paid For The Super Bowl Halftime Show — Forbes……出演者にギャラが出ないこと、リーグが持つのは制作費と経費であること、前年のザ・ウィークエンドが報じられた1,300万ドルの制作費のうち700万ドルを自分で出したこと
- Dr. Dre Says He Had Three Strokes After Brain Aneurysm in 2021 — Billboard……2021年1月の脳動脈瘤と、入院中の脳卒中3回、「生きていることのありがたみが分かる」という本人の言葉
- Straight Outta Compton — Wikipedia……このアルバムがトーランスのオーディオ・アチーヴメンツで録音されたこと、制作費12,000ドル、6週間
なお、視聴者数については、ハリウッド・リポーター誌が「1億1,200万人」と書いております。この記事では、ニールセンの時間帯平均としてウィキペディアに載っている1億336万人のほうを採りました。数え方が違うと数字も変わりますので、どちらかが誤りというわけではありません。

