1991年まで、アメリカのヒットチャートの順位は、レコード店に電話をかけて作っとりました。
「おたくで売れとる上位30枚を教えてください」と聞いて、それを集める。つまり、店の人の申告です。
冷蔵庫と電子レンジで動いた順位
申告ということは、そこに手心が入ります。
トミー・ボーイ・レコードという会社の会長やったトム・シルヴァーマンが、1992年にこう言うとります。
昔は、大手レーベルが店の報告と引き換えに、冷蔵庫や電子レンジを配っとった。
冷蔵庫です。順位が家電で動いとったわけです。
これ、外野が言うとるんやありません。ビルボードの編集長やったティモシー・ホワイト本人が、こう認めとります。
我々の古いやり方が操作されうるものやったこと、そして実際に悪用されたことに、疑問の余地はない。
数字がひとつ残っとります。1991年より前の35年間で、アルバムチャートに初登場でいきなり1位になった作品は、たった6枚しかありません。しかも全部、マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンやブルース・スプリングスティーンといった、名前だけで通る人ばかりでした。
1991年5月25日、レジのデータへ切り替え
そこへレジのデータが入ります。
1991年5月25日、アルバムチャートが「サウンドスキャン」に変わりました。店のレジでバーコードを読んだ数字を、そのまま集める。人の申告が要らんようになった。同じ年の11月30日には、シングルのチャート(Hot 100)も切り替わります。こちらはラジオのほうも、機械が実際の放送を聴き取って数える方式になりました。
ほんで、何が起きたか。
切り替えた直後、N.W.A(エヌ・ダブリュー・エー)というヒップホップのグループのアルバムが、1991年6月に1位になりました。前の週は2位です。
このN.W.Aという連中は、店にもラジオにも相手にされんまま、車のトランクとフリーマーケットでレコードを手売りしとりました。電話で集めた表に、その枚数は出てきません。その話は、こちらに書きました。→ 言葉が、通じんかった──N.W.Aと、突き返された一曲
カントリーはもっと分かりやすい。
| カントリーのアルバム | 切り替え前の週 | 切り替え後の週 |
|---|---|---|
| チャートに入っとる枚数 | 20枚 | 34枚 |
| そのうちトップ50入り | 3枚 | 9枚 |
トラヴィス・トリットという歌手は82位ぶん、ドワイト・ヨアカムは85位ぶん、いっぺんに上がっとります。一週間で、そんなに売れ方が変わるわけがない。
つまり、こういうことです。
ヒップホップもカントリーも、ずっと売れとりました。数え方が、拾えてなかっただけです。
売れてなかったんやない。見えてなかった。ここは、ちょっと背筋が寒くなる話やと思います。
ビルボードの始まりは、1894年の看板貼りの業界紙
ここまでが1991年の話です。ほな、その前はどうやったんか。さかのぼってみます。
まず、ビルボードという会社そのものが、音楽の会社やありません。
創刊は1894年11月1日、オハイオ州シンシナティ。名前は「Billboard Advertising」。看板貼りの業界紙です。
街に広告の看板を貼る、あの仕事の業界紙でした。そこからサーカス、移動遊園地、寄席へと守備範囲が広がっていく。1899年には、コインを入れて動かす機械を扱いはじめます。1932年3月には「Amusement Machines」という専門の欄までできました。
この「コインを入れて動かす機械」が、のちのジュークボックスです。ビルボードが音楽に寄っていった入口は、レコードやのうて、酒場に置いてあった機械のほうでした。
最初のヒットチャートは、タバコ会社のラジオ番組
ところが、「今週の人気曲を順番に並べる」という商売を先に始めたのは、ビルボードやありません。
1935年4月20日、『Your Hit Parade』というラジオ番組が始まります。スポンサーは、アメリカン・タバコ社のラッキーストライク。タバコ会社です。
初回は15曲を順不同でかけて、最後に1位を発表する。のちにカウントダウン形式になり、ラジオ版は1953年1月16日まで、18年続きました。
で、ここが可笑しいところなんですが。
この番組、順位の決め方を公表しとりません。
広告代理店の説明は、こうです。「ラジオへのリクエスト、楽譜の売れ行き、ダンスホールでの人気、ジュークボックスの集計を、主なもとにしとります」。
「主なもとにしとります」。それ以上は言わん。配合は企業秘密、というわけです。
全米が毎週この順位を聞いとったのに、どうやって出した数字かは誰も知らんかった。ヒットチャートというものは、そういうところから始まっとります。
1936年の最初の表は、3社の盤だけ
ビルボードが最初の順位表を載せたのは、その8か月後です。
1936年1月4日。1位は、ジョー・ヴェヌーティ楽団の「Stop, Look and Listen」でした。
ジョー・ヴェヌーティは、ジャズのバイオリン弾きです。1920年代から弦楽器をジャズに持ち込んだ人で、ジャズ・バイオリンの父と呼ばれます。史上初のヒットチャートの1位が、ジャズバイオリンやった。これは、なかなかええ話やと思いませんか。
ほんで、この表が何を数えたものやったか。
店で売れたレコードの数やありません。
資料によって書き方が割れとって、「楽譜の売れ行きと、ラジオでの演奏と、ジュークボックスを合わせたもの」とするものもあれば、「三大ラジオネットワークでかかった回数」とするものもあります。どちらを取るにしても、レコードが何枚売れたかを直接数えた表やない、という点は動きません。
もうひとつ、なかなかのことが書いてあります。
載っとったのは上位10枚だけ。しかも、コロンビア、ブランズウィック、RCAビクターの3社の盤に限られとりました。
3社です。そこに入っとらんレコードは、どれだけ売れても、この表には出てきません。1991年の「拾えてなかった」話は、じつは最初の表からずっと続いとった、ということになります。
ついでに言うときますと、この表は1940年まで、不定期にしか出とりません。毎週の連載やなかった。
売れた数の表ができたのは、四年半あと
1940年7月27日。「The Billboard Music Popularity Chart」という表が始まります。そのなかの「全米・地域別のよう売れた小売レコード」という欄が、いまのHot 100の直系の先祖です。
その1位が、これでした。
トミー・ドーシー楽団「I’ll Never Smile Again」。歌っとるのは、フランク・シナトラです。当時24歳、まだ楽団の雇われ歌手でした。ザ・パイド・パイパーズというコーラスと一緒に歌うとります。録音は1940年5月23日。そこから12週続けて1位でした。
アメリカで最初の「売れた数の1位」が、シナトラやった。
ただ、この曲には書いた人がおります。ルース・ロウという、カナダの女性のピアノ弾きです。
この人、1936年にトロントの楽譜屋で働いとったときに、女性だけの楽団のピアノ弾きが倒れて、その代役に呼ばれた。そのまま正規の団員になります。1938年、23歳でシカゴの音楽宣伝マンと結婚しました。
その夫が、翌1939年に手術中に亡くなります。結婚して一年でした。
ロウはトロントへ戻り、自分の部屋でこの曲を書きました。「I’ll Never Smile Again」——もう二度と笑えん、という題です。
それが、アメリカで最初の売上チャートの1位になった。十二週間、アメリカでいちばんよう売れたレコードは、夫を亡くした女性が部屋で書いた曲でした。
なんで1940年になって売上の表ができたか。理由は身も蓋もなくて、レコードの売上が、やっとラジオや楽譜と並べて語れるところまで戻ってきたからです。それまでは、そもそも数えるほど売れてなかった。
アメリカのレコードの四分の三は、ジュークボックスの中
売れてなかった、というのは、こういうことです。
| 年 | アメリカのレコード売上 |
|---|---|
| 1929年 | 7,500万ドル |
| 1933年 | 500万ドル |
| 1938年 | 2,500万ドル |
大恐慌で、四年のあいだに15分の1です。レコード業界は、ほとんど死にかけとりました。
そこから引き上げたのが、ジュークボックスです。
禁酒法の時代、もぐりの酒場で安い娯楽として広まって、そのまま伸びました。台数を並べると、こうなります。
| 年 | アメリカ国内の設置台数 |
|---|---|
| 1940年 | 40万台 |
| 1950年代半ば | 約75万台 |
| 1970年代半ば | 22万5千台 |
そして、1940年代の半ばには、こんなことになっとりました。
アメリカで作られたレコードの四分の三が、ジュークボックスに入っとった。
家で聴くために作られたんやない。店の機械に入れるために作られとった。レコードというのは、そもそも人が集まる場所で鳴るものやったわけです。
もうひとつ、この言葉の出どころも書いときます。「ジュークボックス」の「juke」は、ガラ語で「乱れた」「騒がしい」という意味です。黒人の人らが集まって飲んで踊る店を「ジュークジョイント」と呼んどって、そこから来とります。
メーカーは、この呼び名を嫌がりました。柄が悪いと思われる、と。それでも呼び名のほうが残った。
三つの表が、一本にまとまった日
1950年代のなかごろ、ビルボードには表が3つありました。
| 表の名前 | 数えとったもの |
|---|---|
| Best Sellers in Stores | 店で売れた数 |
| Most Played by Jockeys | ラジオでかかった数 |
| Most Played in Jukeboxes | ジュークボックスでかかった数 |
3つ別々です。だから「1位」も3つありました。店では1位やけどラジオでは3位、ということが普通に起きる。
このうちジュークボックスの表が、1957年6月17日号を最後になくなります。機械が減っていったからです。
そして翌年、1958年8月4日。残った2つをまとめて、「Hot 100」が始まりました。いまも続いとる、あの表です。
その第1号の1位が、これでした。
リッキー・ネルソン「Poor Little Fool」。当時18歳、テレビの人気者やった少年です。
その6年後、この表に化け物が現れます。1964年4月のある一週、ビルボードのHot 100に、ビートルズが12曲を送り込みました。しかも上位5位を全部ビートルズが占めとります。そんなことは、後にも先にもありません。→ ビートルズのレコードで、他人が弾くことはない──「While My Guitar Gently Weeps」とクラプトンの34年
「1位」の中身は、時代で別物
ここまで来ると、はっきりします。
同じ「全米1位」という言葉でも、いつの1位かで、中身がまるで違います。
| 年 | 出来事 | どうやって数えた1位か |
|---|---|---|
| 1936年 | 最初の表の1位(ジョー・ヴェヌーティ) | 売れた数を数えとらん。3社の盤だけ |
| 1940年 | 売上の表の1位(シナトラ) | 店への聞き取り |
| 1970年 | ジャクソン5「I’ll Be There」5週1位 | 店とラジオ局への聞き取り |
| 1974年 | エリック・クラプトン「I Shot the Sheriff」1位 | 店とラジオ局への聞き取り |
| 1993年 | SWV「Right Here」2位 | レジのデータ |
| いま | —— | 売上・ラジオ・ストリーミングの合算 |
クラプトンが1974年に取った1位は、あの人の生涯でただ一回の全米1位です。その話は前に書きました。→ 保安官を撃ったのは誰か──ボブ・マーリーとエリック・クラプトン
あれも、店とラジオ局に聞いて集めた数字でした。だからといって、値打ちが下がるとは私は思いません。当時はそれが精一杯の数え方やった。その中で1位を取ったことに変わりはない。
ただ、「1位」という言葉を、時代をまたいで並べて比べるのは無理がある、ということです。
いまも続く、数え方の喧嘩
これ、昔話やありません。つい先ごろ、大きいのが一発ありました。
2025年12月17日、ビルボードが「有料の定額サービスでの再生と、広告つきの無料の再生で、重みづけを変える」と発表します。それまでは有料の1回=無料の3.75回ぶんやったのを、2.5回ぶんに縮める。2026年1月17日付のチャートから、と決まりました。
その同じ日に、YouTubeが「ほな、うちのデータは出しません」と言い出します。音楽部門のトップ、ライアー・コーエンの言葉です。
すべての再生が、有料か広告つきかにかかわらず、公平に等しく数えられることを求めとるだけです。ファンは誰もが大切で、どの再生も数えられるべきやからです。
そして、こう続きます。「2026年1月16日以降、YouTubeのデータは米国のビルボードチャートに提供されず、算入もされません」。
10年続いた提携が、これで切れました。いま私らが見とるアメリカのチャートには、YouTubeの再生が入っとりません。
どっちが正しいかは、私には言えません。ただ、揉めとる中身は1936年からずっと同じやな、とは思います。誰の再生を、どれだけ重く数えるか。それだけの話を、九十年やっとるわけです。
オリコンとビルボード・ジャパンの食い違い
日本でおなじみのオリコンは、1967年11月に試験的に始まって、正式には1968年1月4日からです。ビルボードの最初の表からちょうど32年後、しかも同じ1月4日でした。偶然やと思いますが。
オリコンは長いことCDの売れた枚数だけを数えとりました。ダウンロードが入ったのが2017年12月25日、ストリーミングが2018年12月24日。全部を足した「合算チャート」ができたのは2018年12月19日です。けっこう最近の話です。
いっぽうビルボード・ジャパンのHot 100は2008年2月から。こちらは最初からCD・ラジオ・ダウンロード・ストリーミング、のちにカラオケまで足して数えとります。
同じ週の同じ曲でも、この2つで順位が違うことがあります。どちらかが間違うとるわけやない。数えとるものが違うだけです。
数え方が変われば、流行の記憶まで変わる
まとめます。
- ビルボードは看板貼りの業界紙から始まった
- 最初にヒットチャートをやったのはタバコ会社のラジオ番組で、集計方法は秘密やった
- ビルボードの最初の表は売れた数を数えとらん。3社の盤だけやった
- 1991年まで、順位は店に電話して聞いとった。冷蔵庫で動いた
- レジのデータに変えたら、ヒップホップとカントリーが一気に浮かび上がった
- いまはストリーミングの数え方で揉めて、YouTubeが降りた
じつは、その年のチャートを並べただけで見えてくるものもあります。1970年の表には、終わっていくバンドと、始まったばかりの11歳が、並んで載っとりました。その話は、こちらに書きました。→ 「もうええやないか」と「そこにおるよ」が、同じ年のチャートに並んどりました──1970年、ビートルズとジャクソン5
チャートというのは、世の中の人気を映した鏡やと思われとります。でも実際は、そのときの技術と、そのときの都合で決まった「数え方」の結果です。
数え方が変われば、順位も変わる。順位が変われば、何が流行っとったかという記憶まで変わる。
1991年に浮かび上がったヒップホップとカントリーは、それまでも同じだけ売れとりました。ただ、誰も数えてくれんかっただけです。
——ほな、いまの数え方が拾えてないものは、何なんやろう。それは、たぶん十年か二十年たってから分かるんやと思います。
参考文献
この記事の事実は、公開されとる資料で一つずつ確かめました。何をどこで確かめたかを、あわせて書いときます。数字は集計の時点で変わります。URLも変わることがあります。
- How the Charts Have Evolved Across Billboard’s History — Billboard(公式)……1940年7月27日に最初のトップ10シングルチャートが始まったこと、1955年11月12日のTop 100、1958年8月4日のHot 100、1991年5月25日にアルバムチャートがサウンドスキャンへ、11月30日にHot 100がBDSとサウンドスキャンへ切り替わったこと、それ以前は店から電話や使いの者で順位を集めとったこと
- Why YouTube data is leaving the U.S. Billboard charts — YouTube公式ブログ……2025年12月17日付、音楽部門トップのライアー・コーエン名義。データ提供をやめる理由と、2026年1月16日という期日、引用した本人の言葉
- The Development of National Record Charts — 『Pay for Play』(オレゴン大学のオープン教科書)……1936年の表が上位10枚・3社(コロンビア/ブランズウィック/RCAビクター)に限られとったこと、1940年まで不定期やったこと、1940年7月27日の表の中身、当時の集め方
- How SoundScan Changed Everything We Knew About Popular Music — The Ringer……店に電話して上位30枚を聞いとったこと、トム・シルヴァーマンの「冷蔵庫や電子レンジ」の証言、ビルボード編集長ティモシー・ホワイトの言葉、N.W.Aが1991年6月に1位になったこと、カントリーの20枚→34枚・3枚→9枚、トラヴィス・トリットとドワイト・ヨアカムの上昇幅、35年で初登場1位が6枚だけやったこと
- Your Hit Parade — Wikipedia……1935年4月20日に始まったこと、スポンサーがアメリカン・タバコ社のラッキーストライクやったこと、集計方法が公表されとらんかったことと、広告代理店の説明の文言、初回が15曲やったこと、ラジオ版が1953年1月16日まで続いたこと
- Billboard (magazine) — Wikipedia……1894年11月1日にシンシナティで「Billboard Advertising」として創刊されたこと、看板貼りの業界紙やったこと、1899年からコイン式の機械を扱い、1932年3月に専門欄ができたこと、1936年1月4日に最初のヒットパレードを載せたこと
- I’ll Never Smile Again — Wikipedia……作ったのがルース・ロウであること、1940年5月23日の録音、歌がフランク・シナトラとザ・パイド・パイパーズであること、1940年7月27日のビルボード初の「全米よう売れた小売レコード」の1位で、10月12日まで12週続いたこと
- Ruth Lowe — Wikipedia……カナダのピアノ弾き・作曲家であること、1936年にトロントの楽譜屋から女性楽団の代役ピアノに入ったこと、1938年の結婚と翌1939年に夫を手術で亡くしたこと、トロントに戻って部屋でこの曲を書いたこと
- Bruno Mars back to Joe Venuti: First Billboard chart published 75 years ago today — Denver Westword……1936年1月4日の表の1位がジョー・ヴェヌーティ「Stop, Look and Listen」やったこと。ただし、この記事はその表を「アルバムの売上」を数えたものとしており、ほかの資料と食い違う。本文では採っておりません
- Joe Venuti — Wikipedia……ジャズのバイオリン弾きであること
- Billboard Hot 100 — Wikipedia……1958年8月4日に始まり、第1号の1位がリッキー・ネルソン「Poor Little Fool」やったこと、統合される前の3つの表の名前と中身、ジュークボックスの表が1957年6月17日でなくなったこと、2005年・2007年のダウンロードとストリーミングの算入
- List of Billboard number-one R&B songs of 1957 — Wikipedia……ジュークボックスの表が1957年6月17日号をもって廃止されたことの裏取り
- How jukebox is made — Made How……1940年の40万台、1950年代半ばの約75万台、1970年代半ばの22万5千台、1929年・1933年・1938年のレコード売上、禁酒法時代のもぐりの酒場で広まったこと
- Jukebox — Wikipedia……1940年代半ばにアメリカで作られたレコードの四分の三がジュークボックス向けやったこと、「juke」の語源とジュークジョイント、メーカーがこの呼び名を嫌がったこと
- The Beatles — Wikipedia……1964年4月の一週にHot 100へ12曲を送り込み、トップ5を独占したこと
- Oricon — Wikipedia……1967年11月の試験的な開始と1968年1月4日の正式開始、デジタルシングルが2017年12月25日・ストリーミングが2018年12月24日・合算チャートが2018年12月19日から
- Billboard Japan Hot 100 — Wikipedia……2008年2月に始まったこと、CD・ラジオ・ダウンロード・ストリーミング・カラオケなどを合わせて数えとること
※1936年1月4日の表が具体的に何をどう数えたかは、資料によって書き方が割れとります。「楽譜の売上・ラジオでの演奏・ジュークボックスを合わせたもの」とするものと、「三大ラジオネットワークでかかった回数」とするものがあり、本文では両方が一致しとる「売れた数を直接数えた表やない」というところまでにとどめました。当時の誌面そのものは見とりません。
※ジュークボックスが1950年代の後半に減っていった理由は、はっきりした資料に当たれませんでした。本文では「機械が減っていったから」までしか書いとりません。分かったら書き足します。

