「もうええやないか」と「そこにおるよ」が、同じ年のチャートに並んどった──1970年、ビートルズとジャクソン5

廊下を歩くロックバンドと録音マイクを囲む少年ボーカルグループを、レコードと折れ線でつないだ白黒コラージュ

ビートルズが解散を発表した、その翌日でした。「Let It Be」がアメリカで1位になったんは。

1970年4月10日、ポール・マッカートニーが「もう抜ける」と発表しました。翌11日付のビルボードで、この曲が1位。そこに二週間おりました。もう終わったと発表されたバンドの曲が、その週いちばん売れとったわけです。

ここまでは、よう知られとる話やと思います。私が今日書きたいのは、そのとなりで起きとったことです。

同じ1970年の年間チャートを上から見ていくと、11歳の男の子の歌が、三つ並んどります。

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目次

ジョンが抜けると告げた十七日後、ジャクソン5の初ヒット

解散の発表は1970年の4月です。でも、実際に終わったんは、もっと前でした。

1969年8月20日、四人が一緒にスタジオに入った最後の日。翌9月の『Abbey Road』発売。そして9月20日、ジョン・レノンがメンバーに「抜ける」と告げます。これは表には出しませんでした。

その十七日後です。1969年10月7日、モータウンというレコード会社が、無名の兄弟のシングルを一枚出しました。「I Want You Back」。歌うとるのは11歳です。

この曲が、1970年1月31日付のビルボードで1位になります。その二か月後に、ポールが脱退を発表しとるわけです。

断っておきますけど、誰も打ち合わせなんぞしとりません。ビートルズは自分らの事情で終わっただけ。モータウンは自分らの都合で新人を売っただけ。それでも日付を縦に並べると、バトンの受け渡しみたいに見えてしまう。

見つけたのはボビー・テイラー。宣伝ではダイアナ・ロス

ここで、ちょっと寄り道させてください。この兄弟をモータウンへ連れて行ったんが誰か、という話です。

1968年7月、シカゴのリーガル劇場で、ボビー・テイラーという歌手がこの子らのステージを見ました。テイラーが動いて、7月23日にデトロイトの本社でオーディション。社長のベリー・ゴーディは前に送られてきたデモを一度断っとったんですが、テイラーの録ったテープを見て気を変えます。7月26日、契約。翌1969年3月11日に専属契約を結びました。

ところが、1969年8月から会社が世間に流した話は、こうです。

「シュープリームスのダイアナ・ロスが見つけてきた」

宣伝の担当はスザンヌ・ド・パス。同じ年の12月に出たデビューアルバムの題は、そのものずばり『Diana Ross Presents The Jackson 5』でした。ダイアナ・ロスが差し出す、ジャクソン5。ロス本人は、発掘にも契約にも関わっとりません。

ついでに言うと、ロサンゼルスのクラブでお披露目をしたとき、この子は「8歳の天才少年」として紹介されとります。実際は、11歳の誕生日の数日前でした。

誰かが悪意で嘘をついた、という話ではないと思います。売るために話を分かりやすくした。会社としては、ようある判断です。ただ、それで名前が載らんかった人がおる。

このサイトで前に書いた二本も、ちょうど同じ形をしとりました。原曲を書いた男の名前が、カバーの陰に隠れた話(保安官を撃ったのは誰か──ボブ・マーリーとエリック・クラプトン)。ビートルズのレコードでギターを弾いたのに、クレジットに名前が無かった話(ビートルズのレコードで、他人が弾くことはない──「While My Guitar Gently Weeps」とクラプトンの34年)。どれも、誰も悪いことをしとらんのに、こうなっとります。

1970年の年間チャート

ほんで、その年の一年ぶんを集計したのが、これです。上位20位から抜き出します。

年間順位 アーティスト
1 Bridge Over Troubled Water サイモン&ガーファンクル
2 (They Long to Be) Close to You カーペンターズ
7 I’ll Be There ジャクソン5
9 Let It Be ザ・ビートルズ
15 ABC ジャクソン5
16 The Love You Save ジャクソン5

年間トップ20に、ジャクソン5が三曲。おまけに1月には「I Want You Back」が1位を取っとります。実質、この年はこの兄弟の年でした。

そして9位に「Let It Be」。

なお、この年間チャートの順位は、ビルボードがレコード店とラジオ局に聞き取って集めた数字です。レジのデータで数えるようになるのは1991年から。→ 順位は、冷蔵庫で買えました──ビルボードチャートの九十年

ちなみに、前の二本に出てきたエリック・クラプトンは、この年の上位20位に入っとりません。「Layla」が出たんは1970年の11月で、しかも最初はさっぱり売れませんでした。いま名曲と呼ばれとる曲が、出た年の集計には影も形もない。チャートというのは、そういうものでもあります。

この表を見て、編集者の星野がひとこと言いました。

「ビートルズの終わりなんやな。マイケルの登場は」

並べてみて、私もそう思いました。「もうええやないか、そのままにしとき」と歌う男たちの、二つ上に、「そこにおるよ」と歌う12歳がおるわけです。

「I’ll Be There」の発売は、12歳の誕生日の前日

その「I’ll Be There」の話をさせてください。発売は1970年8月28日。その翌日が、マイケル・ジャクソンの12歳の誕生日です。

10月17日から11月14日まで、五週にわたって1位。アメリカで420万枚、世界で610万枚売れました。これで、デビューから四枚続けて1位です。最初の四枚が全部1位になったグループは、それまでおりませんでした。

聴いてもろたら分かりますけど、うまいとか下手とかいう話をしとる声やないです。12歳になる前の日に、「なにがあっても、そこにおるから」と歌わされとる。それを、ちゃんと歌ってしまう。

この子が大人になってから背負うことになるものを思うと、私はこの曲がすこし怖いです。

ビートルズは、書類の上では五年続いた

いっぽうのビートルズは、発表したあとが長いんです。

日付 出来事
1969年9月20日 ジョンが、メンバーに脱退を告げる(表には出さず)
1970年4月10日 ポールが、脱退を発表
1970年12月31日 ポールが、ほかの三人を訴える
1971年3月12日 高等法院の判決
1975年1月9日 法律の上で、やっと解散が成立

気持ちの上ではとっくに終わっとるのに、紙の上では五年かかっとります。その五年のあいだに、あの11歳は大人になっていきました。

ビートルズの曲を買うたのは、十五年後のマイケル

ここからが、この話の妙なところです。

1980年代のはじめ、マイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーは一緒に曲を作っとりました。「Say Say Say」の頃です。そのときポールが、分厚い冊子を見せたそうです。自分が持っとる曲の権利が、ずらっと並んだ一覧でした。他人が書いた曲の権利で、当時、年に4,000万ドル入っとったと伝えられとります。

それを見たマイケルが、こう言いました。

「じゃあ、あなたのを買いますよ」

ポールは冗談やと思うて、笑うて返しとります。「ほほう、うまいこと言うね」

そのポール自身、1981年に「ビートルズの曲の権利を2,000万ポンドで買わんか」と持ちかけられて、断っとります。自分ひとりで持つのは気が進まんかった、と。

二人で一緒に買おうか、という話も出たそうです。まとまりませんでした。

1985年8月10日、ATVミュージックの買収が成立しました。4,750万ドル。ビートルズの曲の出版権が、その中に入っとりました。

あとでポールは、こう言うとります。

「まあ、誰かが手に入れるしかなかったんやろ」

条件をなんとかしてくれんか、と掛け合いにも行きました。返ってきた言葉は、こうです。

「それはビジネスだよ、ポール」

それから二人は、なんとなく離れていきました。ポール本人が「喧嘩別れやない、だんだん疎遠になった」という言い方をしとります。教えた本人が、教えたとおりのことをされた。

誰も悪いことをしとらんのに、名前が三回入れ替わる

1968年、ボビー・テイラーがシカゴで見つけた11歳。会社は「ダイアナ・ロスが見つけた」と言うて売り出しました。その子は1970年に、終わっていくバンドの曲と同じチャートに三曲並べます。そして十五年後、その終わったバンドの曲を、教えられたとおりに買いました。

並べると受け渡しに見えます。でも、渡した側にはそんな気はいっさいありません。ビートルズは自分らの都合で終わり、モータウンは自分らの都合で新人を売り、少年は教わったとおりにしただけです。

それでも、こうなる。

1970年のチャートは、そういう年の記録として残っとります。「もうええやないか」と「そこにおるよ」が、たまたま同じ紙の上に並んだ年として。

——名前が入れ替わるのは、この一件だけやありません。この少年が十四歳のときに歌うた曲にも、書いた人の名前を取り違えられたまま進んだ時期がありました。五歳の娘の「なんで叩くの?」から出てきた一曲──Human Nature が通ってきた四十年

2026年の映画で、見つけた人は三人目

この記事を書いとる2026年、マイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael/マイケル』が世界中でかかっとります。主演はジャファー・ジャクソン、監督はアントワン・フークア。日本では6月12日公開です。

数字がえらいことになっとりまして、7月27日の時点で全世界10億1,600万ドル。北米が3億7,200万ドル、それ以外の国が6億4,400万ドル。6月28日に『オッペンハイマー』(9億7,500万ドル)を抜いて、伝記映画の世界興行収入で歴代1位になりました。初日の3,950万ドルも、初週末の9,720万ドルも、この手の映画では記録やそうです。

日本もよう入っとります。公開41日目で、興行収入66億3,333万4,590円、動員417万9,224人。初週末の3日間だけで10億9,002万3,220円、動員67万人。2026年に公開された実写映画のなかでは、オープニング成績が首位でした。日本の独立系の配給会社が単独で配給した作品としては、歴代1位やそうです。

ほんで、ここからです。この映画にも、ジャクソン5が見つかる場面が出てきます。ところが、見つける人がまた違うんです。

映画では、1968年のシカゴで、スザンヌ・ド・パスが見つけたことになっとります。実在の人です。しかも、そのあとモータウンで「ダイアナ・ロスが発掘した」という売り方を仕切ったのが、この人でした。

そのダイアナ・ロス役はどうなったか。ちゃんと撮影されて、公開前に切られました。演じたキャット・グレアムが、こう書いとります。

「いくつかの法的な事情が、何本かの場面に影響しました。私がすばらしい共演者たちと撮った場面も、そのなかにあります」

事情の中身は明かされとりません。分かっとるのは、1969年に会社が「この人が見つけた」と言うて売った名前が、2026年の映画からは法的な事情で消えたということだけです。

並べてみます。1968年に見つけたんはボビー・テイラー。1969年の宣伝ではダイアナ・ロス。2026年の映画ではスザンヌ・ド・パス。同じ一日のことなのに、語られるたびに名前が入れ替わっとります。

なお、後半に書いたビートルズの曲の権利の話は、この映画には出てきません。物語は1988年のウェンブリー・スタジアムで終わります。買収は1985年ですから時期としては入っとるんですが、描かれとりません。続編の製作は2026年5月21日に発表されとるので、そちらで出てくるのかもしれません。

なお、日本人が書いた曲を録ったのに、出せんかった話は、こちらに書きました。落ちた理由は「お蔵入り」やのうて、取り分の話がまとまらんかったからです。→ 出せんかった曲を、別の男が世に出した──「Behind the Mask」と、クラプトンが二度やったこと

──マイケル・ジャクソンの話は、まだ入り口です。史上いちばん売れたアルバムに、テープの裏面から偶然入ってしもうた一曲のこと。それはまた、次の機会に。

参考文献

この記事の事実は、公開されとる資料で一つずつ確かめました。何をどこで確かめたかを、あわせて書いときます。URLは変わることがあります。

なお、この買収のあとに二人の関係が実際どうなったかについては、いろいろな説明がされとります。ここではポール本人が語った言い方だけを使い、第三者の解説は入れとりません。

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